不審不審者の戦略: カウンターシグナリング vs. 不審者警察
世の中には評判、名誉というものがあり、自分が良いときはそのことを他人に伝えたいしそうでないときは伝えたくない。
そこで以下のような勢力に分けてみよう。
アウト勢
不名誉
自分がアウト勢であることは知られて良いことはない。
セーフ/グッド勢
名誉
セーフ勢は自分がセーフ勢であることを他人に知られたい。でもアウト勢も嘘をつけるので難しい。
洗練と粗野
別に犯罪とかだけじゃなくて、無知、無能とか、技術力が低い、趣味の良さとか、向上意欲がない、将来の収入が上がるという意欲/希望がない、洗練されていない、不合理である、粗野である、不快である、差別的である、というようなことで、人に知られたくないものをアウト、知られたいものをセーフとする。人によって違うかもしれないが、とりあえず単純化する。
人はかならずアウトかセーフのどちらか一方であると仮定しよう。
セーフ勢とアウト勢をぱっと見で区別できるような明確な区別の仕組みが無い場合があるとする (人によってはあるし人によってはない)。
つまり無能かどうかの例で言えば、テストのようなもので判別する仕組みが必ず全員に手に入るわけではない。
新参者はその属性を明確に区別する仕組みであるshared experienceにアクセスできないというのでもいい。
明確にする仕組みはあるけどおおっぴらに明確化するのが恥ずかしいみたいなケースもありえる。知らせることなく知られたいみたいな。
そこで以下のような勢力が生まれる。
不審者
セーフ勢の一種。セーフであることが他人には明確になっていないグレーゾーン。アウト勢でないことを人に知られたい。
「アウト側だがそのことが人に明確になっていない奴」(悪の不審者)がしたがらないようなことをすればいい
不審不審者
セーフ勢の一種。不審者ではない。しかし「不審者であるか否か」が不審な存在なので、自分が不審でないことを人に知られたい。
疑問: これはおかしくないか。全ての人にセーフであることが知られているのなら、「I know that P ⇒ I know that I know that P」 のような推論が成り立つと考える限り、その時点で不審者ではないのでないか
回答: 私が個々の人間に個別にコンタクトを取ってみんなに「君だけに宇宙の秘密を教えてあげよう」と言って宇宙の秘密を教えたとする。すると、みんな宇宙の秘密を知っているが、みんながそれを知っていることをみんな知っているわけではないだろう。
より明確なセーフであるなら、みんなもそのことを知っていると期待できる見込みは大きいと考えられる
人間の分解能からしてアウトから距離xのものは不審というようなxが存在する
(セーフの基準自体が曖昧だったりすると、自分自身もセーフかアウトかわからないということもあるが、その場合は今回話す戦略が使えないので無視することにする)
ここで、前提として、セーフ勢であることが既に知られている場合、自分が不審者でないということは次に人に知られたい性質であるという仮定を置く。(現実に必ずそうというわけではないのではないか)
不審者、グレーゾーンという言葉を使うとその前提は成り立っている感じがする
ここで不審者というのがセーフ/アウトの程度の分解能の問題によって不審化しているものなのか、それとも知識の不足によるものなのかも考える必要がある
戦略
セーフシグナリング
善の不審者の戦略。アウト勢に損な仕組みを支持することで自分がアウトでないことが人に知られさせる。
「アウト勢がいくらセーフ勢に擬態したくても、これを支持してしまうとまずい」くらいのものであれば、セーフ勢であることの信頼できるシグナルになる
セーフシグナリングの存在により、アウト勢に近い人ほどアウト勢に厳しいという一見非直感的な状況が生まれる
純粋に自分についての情報を人に伝えたいだけで利害対立は無いのに人を損させるという状況が発生する
この研究においては、成人男性を指向していた人間が少年を食い物にしたという事例は「全く」存在せず、さらに、特に子供に対象が固定されていない場合や、成人指向から退行した男性は「全て」自分のことを異性愛者だと述べており、実際ホモフォビアである事が多かったという。
少年性愛男性と思われるよりも成人男性が好きな男性と思われる方が社会的に地位が低いとすると、少年性愛者男性が成人男性が好きな人と思われる可能性はヘテロ男性がそう思われる場合より高いだろうから、成人男性性愛でないということのコストリーシグナリングとしてそれに対する嫌悪感を表明するインセンティブが比較的大きいという説明があるかもしれない
カウンターシグナリング
不審不審者の戦略。アウト勢に得な仕組みを支持することで自分が「セーフシグナリングをする必要がある不審者」でないことを人に知らせる。
不審者警察
不審不審者の戦略 (戦略の名称であることに注意)。不審者・グレーゾーンが損する仕組みを支持することで自分が不審者でないことを人に知られさせる。
一例: アウトの範囲拡大: (不名誉な属性が取り締まるような行為である場合)「アウトではなく不審な行為も取締の対象にする」などの仕組みの支持は有効か。→警察だけは不審者と不審不審者の区別ができるという前提がないと自分も取り締まられるので危険と考えられる
しかしもともと警察がアウトと不審の区別ができないならセーフシグナリングでも警察を使えないので区別できると仮定してもいいか
不審者性がセーフ/アウトの程度の分解能の問題に依存する場合、グレーゾーンも新たにアウトにするという仕組みは不審不審者にとっていいシグナルになるかもだけど、知識の不足による場合は (警察だけ知識が特別ある場合以外) そうではないのではないか
おまけ: 単におおっぴらに公然とセーフシグナリングする
不審不審者の戦略。
これでもいいかもしれない
知識の不足において不審者ではないが、しかしセーフ/アウトの程度において不審者と同等ということを否定できない可能性がある
カウンターシグナリングは不審と言えば不審なので、不審者警察と対立 (不審不審者内における内部対立) する運命にありそう。
不審不審者概念の一般化
不$ 審 ^n者
この概念は帰納的に定義される。
Aが$ 不審^n 者であるとは、
n=0のとき、 「Aがセーフである」
n>0のとき、 「Aが$ 不審^{(n-1)} 者であることをみんなが知っている」
ことをいう。
「$ 不審^{n}者であるが$ 不審^{(n+1)}者でない」ということを、用語を乱用して単に$ 不審^n 者と呼ぶこともある
不$ 審^\omega者
「「「「「Aがセーフである」ことをみんなが知っている」ことをみんなが知っている」…」とみんなが知っている」が成り立つとき、$ 不審^\omega 者になる
任意の$ n \in \mathrm{N} について$ 不審^n 者(広義)であるとき、$ 不審^\omega 者である。
今後の課題: 超限不審者への拡張と超限不審者の戦略の研究
不審不審不審者は不審者警察警察をするインセンティブがあるのではないか
なぜなら、自分が不審不審者ではないことをアピールしたいのであれば不審不審者のする不審者警察が損になるような仕組みに賛同することでできるからだ
一般に、$ 不審^n者は$ 不審者警察^{(n-1)}$ (n\geq 2)をするインセンティブがあるのではないか
また、$ 不審者^n は$ 不審者^{n-1}警察をするインセンティブもある
$ 不審者^nは自分を襲ってくる$ 不審者^n警察にも敵対するので、$ 不審者^n警察^2、及び$ 不審者^n警察^{2k}($ n, k \in \mathrm{N})を支持する
こっちは情報戦ではなく物理戦
不審不審不審者はカウンターシグナリング警察もするインセンティブがある
強い不審者、弱い不審者
$ カウンター^nシグナリング
$ カウンター^\omega シグナリングは、セーフシグナリングもカウンターシグナリングも$ カウンター^nシグナリングもする必要が無い$ 不審^\omega者がそのことをみんなに知られるため$ カウンター^nシグナリング (n \in \mathbf{N})全般を貶す行為である。
例: $ カウンター^nシグナリングについて解説し「$ カウンター^nシグナリングをやめよう!」と呼びかける記事を書く行為は$ カウンター^\omegaシグナリングの効果を持つ可能性がある
と指摘する行為は$ カウンター^{\omega+1}シグナリングの効果を持つ可能性がある
と指摘する行為は…
さらにこのような$ カウンター ^{\omega+n}シグナリング全般を貶す行為は$ カウンター^{\omega2}シグナリングの効果を持つ可能性がある
ちょっとカウンターシグナリングの定義とずれてないか。これはむしろ$ カウンターシグナリング警察^nではないか
余帰納法
不審の一般理論
general theory of suspicious behavior
不審者階層、suspect hierarchy
分解能が人によって違うとは考えないことにする